皆さんは沖縄はお好きですか?私は沖縄が大好きです。
沖縄はアジア太平洋戦争時に日本軍とアメリカ軍を中心とした連合国との間の戦地だったことをご存知の方もいらっしゃるかと思います。私は日本にいた時に戦争に関する勉強をしていたのですが、そこで沖縄戦を生き抜いた女性に出会ったことがきっかけとなり沖縄戦についてもっと詳しく知りたいと思いました。その方に出会う前にもひめゆり平和資料館に行ったことはありました。そこで今度は、沖縄戦に関する資料のある平和祈念資料館と戦時中に使われていた壕の見学に行くことにしました。
沖縄戦ってどんなもの?
沖縄戦は、1945年3月末から沖縄などの南西諸島で行われた戦いのことです。南西諸島とは九州の南端から台湾までの約200の島を指し、沖縄や宮古、石垣などの島々が含まれています。これらの場所で、日本軍とアメリカ軍を中心とした連合国軍との戦いがありました。連合国軍としては日本本土に攻め入るための基盤として沖縄を攻略したく、日本軍はそれを阻止するという構図でした。
戦いは約3か月続き、その間に沖縄の人々の日常生活があった場所で、民間人を巻き込んだ激しい戦闘が行われました。6月23日に日本軍の組織的な戦闘が終わったと言われていますが、その後も生き残った軍人による戦闘は続きました。その際に日本軍を頼りにしていた民間人が戦闘に巻き込まれて犠牲になることもあったといいます。飢餓や栄養失調、マラリア、性暴力などに苦しんだ人々もたくさんいました。その後、9月7日に南西諸島の日本軍が降伏文書に調印したことで、全ての戦闘行為が終わることになりました。
沖縄戦の犠牲者数は日米合わせて約20万人、そのうち約12万人が沖縄県出身の一般県民と軍人でした。県民の4分の1あるいは5分の1にあたる人々が命を落としたと言われています。また、沖縄戦はアメリカにとっても犠牲の多い戦争になり、約12,500人のアメリカ兵が戦死しました。他にも、イギリス兵や、当時日本人として動員された台湾や朝鮮半島出身の方々も沖縄戦で亡くなりました。
「沖縄県平和祈念資料館」に行く
最初に向かったのは、沖縄県糸満市にある平和祈念資料館でした。たくさんの展示や写真、映像資料があり、大きな学びにつながりました。
中でも衝撃を受けたのが、沖縄戦で亡くなった方々の写真をぼ実寸大で展示しているコーナーです。そこには、亡くなった方々が身に着けていたものも一緒に展示されていました。戦争の現実の一部がそこにはあります。ちょうどそのコーナーに外国人の3人家族がいました。お子さんは3-4歳くらいの男の子です。その子に対してお父さんがかけていた言葉がまた印象的でした。
“This is a part of the war.”
「これも戦争の一部だよ」
現実に起きたことだと子どもに言葉で伝えていたのです。そして、それらが戦争の「一部」であるということもきちんと伝えていました。私が日本で戦争の勉強をしていた時に、日本人の保護者は戦争関連の教育に積極的ではないということを見聞きしました。でもこの外国人家族は小さな子どもに沖縄戦で起きたことを見せていました。いろんな意見があるとは思いますが、私は個人的には「こういうことが歴史上に起こった」ということは知っておいた方がいいという考えを持っているので、自分の子どもたちとも今度一緒に行きたいと思っています。
沖縄県平和祈念資料館 基本情報
◇住所 沖縄県糸満市字摩文仁614番地の1
◇電話 098-997-3844
◇WEB https://heiwa-irei-okinawa.jp/
歴史資料を求めて沖縄県の知念図書館を訪ねる
次に向かったのは南城市の知念図書館です。私に戦争体験を語ってくれた女性が収容されていた米軍キャンプのあった町が現在の南城市なので、その地域の歴史編纂資料を求めて行きました。
予想通り資料がありました。南城市はその前身の名前を玉城村といいます。私の探していた沖縄戦時の情報は『玉城村史 第6巻 戦時記録編』にありました。
当時使われていた壕の詳細や、人々の戦時体験談など、様々な情報が載っていました。当時の状況を多角的に捉えることができました。そして私に体験談を語ってくれた方が収容されていたキャンプの場所も分かりました。この図書館に来て本当に良かったです。
南城市立知念図書館 基本情報
◇住所 沖縄県南城市知念字久手堅22
◇TEL 099-917-5310
現存する地下壕を見学しに糸数アブチラガマへ
次に向かったのは、沖縄県南城市にある糸数アブチラガマです。このガマは、沖縄戦中には元々は地域の住民が避難するための壕とされていましたが、日本軍の陣地壕として使用されるようになり、戦況が悪化してからは南風原(はえばる)陸軍病院の分室として使用されました。病院機能が撤退してからは、糸数の住民と負傷兵、日本兵が混在しながら使用されました。
ガマは沖縄の言葉で「自然の洞窟」を意味する
戦時中には日本軍がガマを掘削して壕と呼んだりもしました。沖縄戦ではガマや壕は住民の避難所、日本軍の陣地や野戦病院として使われることになります。
なお、アブチラの意味は以下の通りとなります。
「アブ」・・・深い縦の洞窟
「チラ」・・・崖
糸数アブチラガマの入壕には事前予約が必要
ガマの見学をしたい方は、糸数アブチラガマホームぺージから申込書をダウンロードしてFAX送信で申し込みを行います。ご希望の日に空きがあるかどうかを事前に電話で確認するとよいと思います。私の知る限りではメールでの問い合わせはできないので、電話とFAXでのやり取りになります。問い合わせ先はこの記事の最下部をご覧ください。
なお、この壕に入壕を希望される方は日程が決まった段階でお早めに予約をされるといいかと思います。修学旅行のシーズンは混んでしまって一般人の予約ができなくなることもあるそうです。
入場料は大人300円、子ども150円、減免対象者50円になります。暗い空間で急な階段を上り下りする箇所もあるので、小さなお子さんをお連れの方はよく注意された方がよいかと思います。
見学当日は予約時間の15分前に集合
集合場所は南城市の「南部観光総合案内センター」になります。駐車場はセンター前にありますのでレンタカーで行くことができます。10台以上停められるスペースがあるので安心です。
ヘルメットは無料で借りることができます。携行必須の懐中電灯は有料(私が行った時は100円)で借りることができます。
壕まで5分ほど歩くのですが、そこで生活をしている人々の下に大きな壕が存在するのだと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
壕に着くと、いよいよ入壕です。片手に懐中電灯、もう片方の手で手すりを持って急な階段を下って行きますのでスニーカーなど歩きやすい靴で行くことをお勧めします。
ひんやり冷たい空気と暗闇が待ち受ける壕
中にいる時にガイドさんが言いました、「今日の参加者さんは皆さん大人だけなので、ちょっと懐中電灯の光を消してみましょうか。どれだけ暗いか是非体験してみてください」と。そこで懐中電灯を消すと、そこは本当に真っ暗でした。音もありません。戦時中はここはいったいどんな環境だったのだろう、と思いが巡ります。再び明かりをつけて壕の中の見学が続きます。沖縄戦中に米軍に攻撃された際に焼け焦げた天井、当時使われた器具などがそのままになっている場所、人々の命を繋いだ湧水等を見学し、当時の様子を説明するガイドさんの話を聞いていきます。
実際に数々の出来事があった壕を自分の目で見ることができてよかったです。興味のある方は、是非糸数アブチラガマの見学に行ってみてはいかがでしょうか。
南城市「南部観光総合案内センター」 基本情報
◇住所 沖縄県南城市玉城字糸数667-1
◇電話 098-852-6608
◇FAX 098-852-6466
◇アクセス 那覇空港から車で約40分
◇WEB https://abuchiragama.com/
※2021年6月23日現在、糸数アブチラガマは沖縄県緊急事態宣言の延長に伴いコロナウィルス感染防止対策のため入壕を中止しています。詳細は上記リンクのホームページをご確認ください。
今はコロナ禍で旅行や現場学習が難しい時期だと思います。状況が落ち着いて、関心のある場所に出かけて知りたいことを調べられる環境に少しでも早くなることを願っています。